「お願いします。あとはよろしく!」これで良い。
でも結構任せていない人が多い。
「お願いはしてみます。でもだめだろうな。」と祈っている。
だからそうなる。願いどおり。
できないと決めたらご本尊不信、だめだと決めたらご本尊不信、自分の中の甘さもご本尊不信。
願ってお任せ。「お願います!あとはよろしく。」これでよい。
信仰というのは無理だから祈る。
方法がないから祈る。
常識で不可能だから祈る。
方法があれば祈る必要はない。
やればいいんです。
道がないから祈る。
それが南無。
そう御書に書いてある。
「湿れる木より火を出し乾ける土より水をもうけんが如く強盛に申すなり」と。
「『湿った木を燃やしてみせる、砂漠から水を出してみせる』と強く祈るんだよ!」とおっしゃっている。
「不可能を可能にするのが信仰だよ!」とおっしゃっている。
「お願いはしてみます。でもだめだろうな。」と祈っている。
これを半南無という。
半信半疑は不信だから叶わない。
「だめでしょうね。」とそのとおりになる。
一昨年の4月に、創価大学の女子学生が来た。
「語学の勉強に海外に留学したいんですけど、家庭の事情で行けそうにありません。」と言われたので
「親に頼んでもだめならご本尊にお願いしたらどうですか?無理だから祈るんですよ!これから祈れば叶いますよ!前が断崖絶壁で道がないんですから、祈れば橋が架かるように道が開けますよ。」と話をした。
すると去年の2月15日に「3月から一年間、アメリカへ自費で留学することが決まりました。あの時、祈ったら橋が架かっちゃいました。不思議ですね。」と言うから「だから妙法と言うんですよ。」と言った。
不可能を可能にするから妙法という。
頭で考えてもわからないから妙法という。
無理を承知で祈るんです。
だめだから祈る。
方法がないから祈る。
そうすると道が開ける。
道はないのだから探さないこと。
だから祈って道を作ればいい。
信仰はカーナビの世界ではない。
カーナビというのは道がないところにはいけない。
道がなかったら飛行機かヘリで行けばいい。
道がなくても祈っていけばいい。
簡単です。
<河合副教学部長3>
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